春雑感 05.05.2000


 これを書いている今日は、ゴールデンウィークのまっただ中。ニュースでは、高速道路の渋滞状況とか、各地の花の便りなどをやっている。桜前線も北海道にたどり着いたそうだ。
 分厚いコートを着て肩をすぼめながら歩いた日々が、何だかもう遠いことのようだ。

 ここのところ偶然にも、様々なところで春の息吹と出会う機会があった。
 3月の末、都心から離れた場所に住んでいる友人の家に遊びに行くと、庭先にカタクリの花が咲いていた。生まれて初めて見た。高山植物で、自生している場所はそう多くないという。昔はこの花の根っ子から片栗粉を作ってたって知ってた? 僕は知らなかった。小さな薄紫色の花が、しゃがんだような格好で土から顔を出し、可憐にほほえんでいた。白いカタクリの花もあるという。一度見てみたいな。
 4月の始め、百草園という場所へ行った。ひとつの山が全部梅の木で覆われている。様々な色合いの梅の花、そして濃厚な香りが山全体を覆っていた。山の一番高い所へ登り、上を見上げた。隣り合っている木の枝が、降り注ぐ日射しを分かち合うように少しの間隔を取って枝を触れあわせている。風の強い日で、風が枝を揺らす。その音が耳に心地よく響く。目をつぶり、体中でその音を聴いた。風が枝を使ってメロディを奏でていた。すばらしく美しいアンサンブルだった。
 かなわないや。ロックがどうのこうのと偉そうにのたまっている自分が滑稽にすら思えた。だが、こうも思った。僕の声とギターで、いつかこの風を表現したい、風の語る物語を歌にしたい、と。
 その数日後、とある住宅街の桜並木を歩いた。歩く僕の上に、満開の花が天井を作っているようだ。行き交う人々の顔が明るく見える。桜色の照り返しだ。花びらが音もなく風に舞う。
 桜を見ていると、不思議な胸騒ぎをおぼえる。いんびで、じんわりと危険で、変な例えだけど、殺意を持った女の横顔、とでもいうのかな。
 梶井基次郎の有名な一節。
「桜の樹の下には、屍体が埋まっている」
 ゾッとするほど、分かる。
 道沿いにあった喫茶店に入った。オープンな造りの店の中にも桜の花びらが散り、床にピンクの水玉模様を作っている。テラスに座って見上げる。文字通り“桜吹雪”だ。こんな日本語って、とても綺麗だ。
 2年前のことだが、この季節をロンドンで過ごし、桜を1回パスしたことがある。その頃にもらったメールには、ほとんど桜のことが書いてあった。
「今、日本の桜は五分咲きです」
「桜が満開だよ」
「そろそろ桜も終わりです」
 うちの近所でも、この時期になると道沿いに唐突に桜が咲き、その木が桜だったことを初めて知る。僕は田舎育ちだが、こんな四季の移り変わりや花の名前などのことはちっとも知らない。だからそれをひとつ知ることで、ひとつ得をしたような気分になれる。
 昨日、パンジーの鉢植えを見た。近くに寄って、まじまじと花を見つめた。少し恥じらうように咲いている濃い紫の花弁は、とてもセクシーに思えた。エロチックにさえ見えた。
 エロチックといえば、以前蝶の羽化をじっくりと見たことがある。少しずつ殻を破り、苦しげに痙攣しながら濡れた羽を広げ、きらびやかな蝶になっていく様は、恐ろしくエロチックだった。
 こんな風に思うのって、なんか変? 春のせいかな。

 まだアマチュアの頃、ブライダルベールという観葉植物をもらい、部屋の隅につるしていた。水をやり忘れたりするせいか葉の緑はくすんでいたが、やたらと生命力があり、葉をつけた細い枝が鉢から溢れてどんどん下に垂れ下がっていく。後で知ったんだが、それを丁寧に剪定してあげて丸い形にするのが本当だという。上京することを決めた春、その鉢が突然小さな白い可憐な花で一杯になった。まるで僕の未来を祝福してくれているように感じた。
 しかしそれ以来、僕の部屋に花があることは滅多になかった。たまに切り花がテーブルに飾られたが、枯れていくのが哀しくて、自分では買わなくなってしまった。
 アルバム「花を育てたことがあるかい」をリリースした頃だったと思うが、小さなサボテンを買った。日射しのあまり届かない場所に置き、その上その横で僕が煙草をスパスパやっていたせいか、なかなか育たなかった。2年前に引っ越した時、午後の日射しがさんさんと注ぐ場所に置いたら、急に元気を取り戻し、ニョキニョキと延び始め、今じゃ倍以上の大きさになった。ただのまっすぐなサボテンだったのが、横っちょから新たな幹が数本延び始め、マンガで書くようなサボテンの形になりかけている。延び始めた部分から急に太く育っちゃったもんだから、妙なルックスだ。
 根っ子がなくて、頭でっかちで、無節操に触手を伸ばしてる……なんか、他人とは思えなくなってきた。
 以前住んでいた多摩川べりのマンションを春に引っ越すことになった時、河原にひまわりの種を植えまくって行った。夏になり、ひさしぶりにそこを訪れて河原を見渡すと、黄色い爆発が見えた。ひまわりが数本、夏の強い日射しを浴びて堂々と咲いていた。その背丈は3メートル近くもあり、花は僕の顔より大きかった。

 植物だけじゃなく、自分の中にあるものを“育てる”という作業は、今までの僕の中にはほとんどなかった。“瞬発力”とか“出会い頭”とか“一発勝負”とかで、今まで何とかやってきたように思う。多摩川のひまわりにしたって、植えっぱなしで結果を待つという無精なやり方だ。そんなやり方には限界がある。
 しかし、“育てる”という自覚がないにしても、ひとつのことを“やり続け”ていく中で、知らない間に自分の中に培われていくものがある。それを自分ではっきり自覚しておかなければいけないと思う。それをこれから大切に育てていきたいと思う。


 今年上半期のツアースケジュールが出た。まずは関東近県から始めることにした。
 先日、今年の目標を立てた。僕が今までやってきた年間ツアーで、一番本数が多かった1988年の36本をまずは越える。どこまでいけるか挑戦だ。
 BOOKMARKのコーナーにファンの人たちのリンクが増え始めている。心から嬉しい。そんな人たちの期待に答えるためにも、今年はたくさんの街へ向かうつもりだ。
 それにもうひとつ、メーリングリストを始めようと思っている。ファンの人たちが作ってくれていたAspirin-MLを発展させ、公式のメーリングリストとして再出発する。もちろん僕も参加するつもりだ。ざっくばらんなおしゃべりをしながら、新しいコミニュケーションの場にしていきたいと思っている。今月末くらいにはインフォメーションできるはずだ。ぜひ参加してほしい。


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