矢を、射る
#4 いざ! 初心者教室へ

 〈初心者教室〉初日の週末。行われるのは、うちの近所の道場ではなく、少し離れた場所にある大きな道場だ。
 広々としていて、ていねいに拭き掃除された板の間が綺麗に光っている。
 僕が高校の時に使っていた道場は、5人並べばいっぱいという幅しかなかったが、ここは10人並んで余裕で弓を引く広さがある。的までは美しい緑。開放感がある。

 いったいどんな人たちが集まって来るんだろう。
 開始少し前に道場に行くと、三々五々集まってくる人たち。数えてみると、25人ほどの受講者。年齢層の幅は広い。女性が多いな。みんな思い思いの格好で来ている。ちゃんと足袋をはいている人もいる。ジャージもいるし、スラックスもいる。
 僕は、ジーパンじゃあんまり失礼かもしれないと思った末に、カーゴパンツ。おんなじか。そして腰には“小山”の名札。
 講師の方は10人ほど。きちんと袴をつけている。

 代表の方の「並んでください」のひと言で、教室がスタート。
 まずは、お辞儀の仕方を習う。
 神棚に向かって、二礼、二拍手、一礼、一揖(ゆう)。礼は、斜め45度までお辞儀。背筋をまっすぐにして頭が下がらないように。揖とは、ほんの少しだけお辞儀をすること。
 神棚は、道場では神聖な場所だ。何をするにも神棚に背を向けてはいけない。
 高校のおんぼろ道場にも神棚はあったが、あんまり気にしていなかったな。おんぼろ道場の神棚に神様がいる気がしなかったし。いたとしても、多分たまにだろうし。

「最初に、模範の演舞をみなさんに見てもらいます。そちらに座って、見学してください」
 受講生はゾロゾロと道場の隅へ移動して、正座。
 1人の講師の方が、袴に黒の紋付きの着物を着て登場。段位の高い人の正装だ。受講生も講師の方もシンとして見つめる。射位につくと、腰を落とす。これは座射という形。1本射るごとに1度座る形だ。僕の高校時代は立射という形で、座ったり立ったりがなかった。
 ゆっくりとした動作で左そでを脱いで片肌を出す。立ち上がり、流れるような動作で矢を射る。2本中1本が当たった。的を射抜いた音が綺麗に響く。脱いだそでを戻し、退場。拍手。
「次は、去年この初心者教室に参加して弓道を始めた人たちの演舞です。この1年で初段を取った人もいます」
 5人の人たちが登場。若い人もいる。こちらは立射での演舞。最初の1本が当たった後、次がなかなか当たらない。ハラハラする。代表の方はもっとハラハラしているんだろうな。
 弓を引き、矢を放ち、5人が退場するまでの綺麗にそろった演舞。終わってまた拍手。
 15分ほど正座して見ていたんだが、立ち上がる時、あちこちで「いてて」って声が聞こえる。よかった、僕だけじゃなくて。いてて……。

「では、自分に合った弓とかけを選んでください」
 講師の方に教えてもらいながら、まず弓を選ぶ。何本か試して、グラスファイバー製の“11キロ”の弓を選んだ。男性が使うにはけっこう弱い方だが、それでも引いてみると腕がプルプルしてしまう。いかに普段使っていない筋肉があるかということが分かる。慣れてくれば、もっと強い弓を使えるだろう。
 かけも、自分の手の大きさに合ったものを選ぶ。

「まず基本の練習から始めましょう」
 いきなり弓を引けるというものではない。
 腰に手を当てて立つ練習。女性は両足をぴったりつける。男性は両足を3センチほど空けて平行にする。意外とむずかしくて、ついつま先が開いてしまう。
 重心は、土踏まずより少し指先へ。お腹が出ないような姿勢。視線は4メートルほど先を見る。キリッと前を見すえては駄目。ちょっとぼんやりした感じにもなるが、これが正しい。高校の時も教えられてやってたっけ。

 次は基本動作の練習。
 20センチほどの、弓の形をした竹の棒に太いゴムをつけた練習用の道具を使う。左手を伸ばし、右手でゴムを顔の後ろまで引っ張り、離す。ゴムはちょうど唇の位置。バチンバチンという音が道場に響く。
「お腹を引っ込めて」
「ひじを下ろして」
「はい、離して」
 あちこちで講師の方の声が飛ぶ。
 僕の弓の引き方には癖があるらしく、何度も注意される。
「右ひじを張りすぎないで。離す時は、もっと大きく開くように手を伸ばして」
 ひじは張らずに自然に下ろす。その方が筋肉を使うが、慣れれば自然体になる。矢を放った形の時、どうしても右手が伸びきらない。
 男性の講師の方が、僕の形を見て言った。
「昔の弓道は、そんな形もあったけどねえ」
 え? 僕の弓道は古いってこと?
 年配の女性講師の方が、僕の姿を後ろからしげしげと見て言った。
「小山さん、いいお尻してますね。上達しますよ」
 ジョークでもセクハラでもない、いたって真面目な顔で。
 お尻を褒められたのは生まれて初めてだ。もちろんそれはセクシーという意味ではなく、姿勢がいいという意味だとは分かっている。が、悪い気はしない。
 ロックシンガーなんて、みんな褒められて伸びるタイプだから、僕のお尻も伸びるかな。って、伸びたお尻って、どんなんだよ。
 別の講師の方が言う。
「昔やってたことがあるでしょ? 肩の入り方が違う」
 形だけは、何とか体が憶えているようだ。

 アッという間の4時間だった。
「次回は、かけをつけて、弓を引く動作から練習していきましょう。お疲れ様でした」
 けっこう疲れた。上腕三頭筋だけじゃなく、股関節と太ももの内側の筋肉が痛い。思った以上に足を開いて、しめるからだ。
 でも、微かな高揚が体に残った。体が、35年前の感覚を取り戻そうとしている。

 ライヴでは、たまにゾーンに入ったと思える瞬間がある。その感覚は、いつまでも体に残る。今の僕の体は、35年前のゾーンを思い出そうとしているのかもしれない。ずいぶん時間が過ぎたけれど、きっと甦るはずだ。
 来週もがんばろう!
 それはまた次のお話。


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