TOKYO WALKIN'


東京 Walkin' Part1

東京に住みついて10年。世知辛い街といっても、道を歩けば人に出会うし部屋を借りれば隣人がいる。
 昔あるマンションに引っ越し、隣の部屋にケーキを持って挨拶に行った時のこと。顔を出したのは昼すぎだというのに眠そうな目をしたおばさん。僕を上から下まで眺めた挙げ句にこう言った。
「昼間のお仕事ですか?」
 一体おばさんの目に僕がどんな風に写ったのかは分からないが、曖昧に「ええ、まあそうです」と答えておいた。そのおばさんは、夕方になるとおねえさんに変身してベンツで出かける毎日を送っていた。そして僕が、昼間の仕事ですとはとても胸を張って言えない不規則なレコーディングの日々を送っていたある日、そのおばさんと入り口で出くわした。おばさん、ニッコリ笑って同類を見るような目でこう言った。
「やっぱり夜の仕事じゃないの」
 違うと言い切れなかった。



東京 Walkin' Part2

東京に住みついて10年。世知辛い街といっても、道を歩けば人に出会うし部屋を借りれば隣人がいる。
 先日短編集を出版した。ある日、僕は書店の新刊コーナーで自分の本が積んであるのを横目に見ながら、そばにあった別の本を取ってパラパラとめくったりしていた。その時1人の男が僕の横に立ち、僕の本を手に取って読み始めた。僕は内心ドキドキしながら男の動向を見守った。男は数分の間、真剣に読んでいたが、突然本をポンと置いていなくなってしまった。なあんだ買わないのか、と僕が思った矢先、後ろから声がした。
「残念でしたね、小山さん」
 振り返ると、女の子が僕に笑いかけている。僕がさっきの男をじっと見ていた時、ファンの子らしいその子は、僕のそんな様子をじっと見ていたらしい。その子にサインをしてあげた後、引きつった笑いを残してその場を逃げるように立ち去ったのは言うまでもない。



東京Walkin' Part3

東京に住みついて10年。世知辛い街といっても、道を歩けば人に出会うし部屋を借りれば隣人がいる。
 僕が住んでいる街のすぐ隣には、高級住宅街がある。車はBMW、娘はシャネル、犬はアフガンハウンドといった具合の街だ。ある日僕はその街並をブラブラ歩いていた。僕の歩く前を、近所の主婦らしい2人連れが歩いている。近くのスーパーに行くのに金のネックレスをするようなタイプだ。2人の話し声に何気なく耳を傾けた。
「お宅の娘さん、そろそろアメリカからお帰りになるんじゃありません?」
「ええ、そうなんですけど、気紛れですからいつになることか」
「でも本当によろしいですわね、お1人で留学なんて。それでアメリカのどちらに?」
「確かオハヨウっていう街でしたかしら」
「まあ、オハヨウにいらっしゃるんですか」
 僕はとっさに推理した。多分それはオハイオのことではないかと。



東京 WAlkin' Part4

東京に住みついて10年。世知辛い街といっても、道を歩けば人に出会うし部屋を借りれば隣人がいる。
 随分前に住んでいた部屋の大家は、八百屋で矢尾板さんといった(いや、シャレじゃなくて)。僕は仕事を音楽制作だと偽って入居していた。ミュージシャンだなどと言うと大抵断わられる。
 ある日、僕は店先で矢尾板さんに呼び止められた。彼は新聞を持ち出してページを開き、ニコニコ笑ってこう言った。
「ねえ、これ小山さんじゃないの?」
 新聞には僕の顔写真入りでコンサートの告知が載っていた。
「ち、ち、違いますよ。同姓同名なんじゃないすかあ? ハハハハハ」
「何だ違うのか。もしそうだったらうちのばあさん連れて見に行こうと思ってたんだけど」
 彼は残念そうにつぶやいた。今にして思えば、大家で八百屋の矢尾板さんにコンサートを見てもらうのも悪くなかったな、と思っている。


(c)1991 Takuji Oyama