|  第01話
 店の名前はムーン・ドッグス・クラブ
 それは、ある晩、ある時代、ある場所
 行き急ぐ者達がたち止まり
 1杯のグラスのために座るところ
 店の名前はムーン・ドッグス・クラブ
 ひと夜限りのロマンチックなオペレッタ
 
 
 うす汚れた野良犬が頭をたれ、すり切れた石畳の上で爪を鳴らし、さっきからそこいらをウロウロ歩き回っている。近所の悪ガキどもが石でも投げて壊してしまったのか、5本に1本は明かりの点かない街灯が並ぶ通り。その通りの一角に、1軒だけポツンと明かりの灯った店がある。
 木造りのドアの上に引っかかったように取りつけてあるネオンが、オレンジ色の鈍い光でその店の名前を教えてくれる。ムーン・ドッグス・クラブ。1962年、西ドイツ、ハンブルグ。
 「もう閉店だよ」バーテンダーは拭いていたグラスを置き、煙草に火を点け、カウンターの一番隅で酔いつぶれている男に言った。
 男は目を覚まし、ごま塩頭をかきながらスツールから降りた。バーテンダーはレジスターをガチャンと開ける。男はうつむいたままバーテンダーに目もくれずに手を振り、よたよたと店を出ていった。バーテンダーは両手を腰に当ててため息をつき、それから乱暴にレジスターを閉め、表のネオンのスイッチに手をかける。
 どでかい音をたててドアが開かれた。立っているのがやっとといった風の酔っぱらいがドアに寄りかかるようにして入ってくる。ひょろ長い背たけ、長い髪、汚い革ジャン、どんよりとした目。男はようやくカウンターにたどり着くと、どっかり腰を落とした。
 バーテンダーはしばらく男を眺め、それから言った。
 「外は雨かい? なんだかずぶ濡れだな」
 男は重そうに首をもたげ、かすれた声で言った。
 「その先にスター・クラブっていうライヴハウスがあるの知ってんだろ」
 「ああ、知ってるよ。そこで踊ってきたのかい?」
 「歌ってきたんだよ」
 「すると、あんたがブレーメンから来た音楽隊ってわけだ」
 男は視線を落とし、鼻で笑いながらつぶやいた。
 「まあそんなところだ。酒をくれ」
 
 
 M-1
 夢の島
 小山卓治
  地下鉄の風に巻きあげられビル風に背中をどやされ
 水銀灯に目をやられた
 俺達吹きだまりのヒーロー
 暗闇で息を潜めてた
 ガラクタどもがはい出して来る
  俺達はいつも最初からろくなものは持たされちゃいねえ
 震えと熱にあおられてる
 ダンスは夜ごとに速くなる
 ネオンが体を染める頃
 ウィンドウの中の黄色い
 マネキンに恋する
  夢の島へ 夢の島へ俺達はやって来た
 夢の島で 夢の島で
 俺達は空へ舞いあがる
 
 
 「酒をくれ」
 バーテンダーは両手を腰に当てて言った。
 「鼻の下にくっついた白いパウダーをはらいなよ」
 「酒をくれ!」
 「あんたの瞳孔を元に戻す酒なんてないよ」
 男はカウンターにつっ伏したまま、つぶやくように言う。
 「あんたの出す酒で、俺にとどめを刺してくれ」
 「有名人に対してそんなことをしたら、私はファンに絞め殺されちまうよ」
 バーテンダーはそう言うと、よく磨かれたグラスにホルステン・ビールを注いだ。男はジロリとバーテンダーをうかがい、グラスを受け取った。
 「あんた、俺のこと知ってんのかい?」
 「ああ、もちろん。リバプールから来たクレイジー・ビートルズのジョンだろ?」
 男は少しだけ人なつっこい顔になってビールを舐めた。バーテンダーは煙草に火を点けながら言った。
 「昨日の晩はポールが来たよ。もっとも、あんたみたいにうらぶれてないで、女の子を2、3人連れてたけどね」
 男は急に眉をひそめ、ビールを半分ほど一気に飲んだ。
 「あの野郎、調子に乗ってやがる。俺達が今どんなに大事な時期にいるかなんて、ビールの泡ほども考えちゃいねえ。来月には2度目のオーディションだっていうのに」
 「どこのオーディションなんだい?」
 「EMIのジョージってやつが、俺達の音を気に入ったらしいんだ。来月はロンドンだ。こんなクソみたいな街にゃ、もう2度と来ねえぞ」
 「この街だって、そう捨てたもんでもないさ」
 「俺は半端な喝采なんか浴びたくないんだ!」
 
 
 M-2
 For My Lover
 Tracy Chapman
 
 
 男はビールを飲み干した。バーテンダーは新しいホルステンの栓を抜いた。静まり返った店の中に、ビールをグラスに注ぐ音だけが広がった。
 「あんたみたいなスターでも、やっぱり不安になることがあるんだな」
 男はバーテンダーを見つめ、うっすらと笑った。
 「そりゃあるさ。俺は運の強い男だけど、運命ってやつは、たまにひどい意地悪をするからな」
 「あんたはきっとうまくやるよ。きっと成功を手にする。それも上等のやつを。そんな気がする」
 「あんた予言者なのか。それとも大ボラ吹きかい?」
 「あんたのファンさ」
 男は黙りこみ、ゆっくりビールを飲んだ。
 「女の子でも探しに行きなよ。その方があんたらしい」
 男はひとつ深いため息を突き、それからニヤリと笑って立ちあがり、バーテンダーにウィンクをしてスツールを降りた。
 「ジョン」
 男はドアのところでふり返った。
 「なぜこの店に来た?」
 男はしばらく考えてから言った。
 「昔、俺のバンドの名前がムーンドッグスっていったんだ。だから……いや、それだけさ」
 男は店を出ていった。バーテンダーは男の背中を見送り、それから、ゆっくりとネオンのスイッチを降ろした。
 
 
 M-3
 Hard Days Night
 Beatles
 
 
 -NOTES-
 1962年7月にEMIオーディションに合格したビートルズは、その年の10月にデビュー。12月に最後のハンブルグ公演を終え、63年の2月には「Please Please Me」でNo.1を獲得した。
 
 
 Special Thanks To Yosao Katoh
 (c)1989 Takuji Oyama
 |