「強靱な虚無感」より抜粋
熊本時代、滅法、レコード蒐集が趣味な奴がいて、アメリカに「ロック版」ボブ・ディランみたいなのが出たぞ! って言われて、そいつの家で聴いた《明日なき暴走》が最初かな。恐らく、19歳かそこいらだったと思う。針を下ろした瞬間、ハーモニカとピアノが鳴りひびいて〈涙のサンダーロード〉が始まる。この曲が終わる頃には、理屈抜きでファンになってた。アルバムの両面を通しで聴いて、スゲエ男が出てきやがった! って正直ブッ飛んだ。
続けざまに2回目を聴くところで初めて対訳を目にしたんだけど、歌詞から受ける印象で言うなら、ディランの場合はギラギラって感じで、スプリングスティーンの場合はキラキラって感じだった。あの頃(76年当時)、名画座で観てた一連のアメリカン・ニューシネマと重なる質感がスプリングスティーンの歌世界にはあった。ツヤ消しされた極彩色っていうか。キラキラした何かを求めてるんだけど、それは遠くにあって手にすることはなかなか叶いそうにない。ニューシネマがそうなように、スプリングスティーンの歌も単純なハッピーエンドは用意されてないよね。たとえば〈明日なき暴走〉の主人公も、ある種の虚無感のなかで突っ走ってる。「明日なき」っていう邦題も、ニューシネマ的で結構しびれた。
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